宇宙とモナド

昨日NHK-BShiでやってた特集番組で、「宇宙ロマン 星に秘められた46億年の物語」っていうのがあったんだけど、結びのところで

「私は宇宙の中にいるけれど、私の宇宙は、私の心の中にある。なら、私と宇宙ではどちらが大きいの?」

という台詞があってちょっと考えさせられた。物理的には宇宙が「私」を内包するのは明らかだけど、観念としては、「私」が宇宙を内包しているのかも。

昔からこういうことを考える人はいたみたいで、例えば微積分で有名なライプニッツモナドジー(単子論)なる理論を持ってきて、デモクリトスの原子論(アトム)とは別の単子(モナド)*1という概念を持ち出した。
精神的アトムとも言われるモナドとは何か。id:orion-n:20060304によると、

すべてのものはモナドの集まりからできている。
モナドは部分を持たず、広がりも形も持たない。
物理的現象は、いくつかのモナドが「知覚」する現象にすぎない。
モナドは、それぞれの観点から他のモナドを自分のうちに表象する。
このことが「知覚」と呼ばれる。
モナドの知覚は刻々と移り変わる。
モナドの知覚を変化させる内的原理は「欲求」と呼ばれる。

モナドは宇宙を映す鏡である。モナドは相互に独立している。
これはまるで内部状態を持つエージェントのようであり、実際に人間も内部状態を持つエージェントであり、その精神はモナドである。

中学生のとき、「自分の見えている色と他人の見えている色は本当に同じか」ということがすごい不思議だった。
でも、たとえ自分と他人の見ている色が違ったとして、現実には何も問題は起こらない。
それは多分、自分の見ている色と他人の見ている色の「名前が同じ」だからだ。識別さえできれば記号的な意味は損なわれない。概念の本質は「通信可能である/再現可能である」ことかもしれない。感覚的な「実際の色の見え方」は共有不能なものだ。その共有不能なものがその人の「固有の世界」なんだろう。

*1:Haskellには副作用を使うためのモナドという機構がある