「情報を共有する」ということ

NHKでサイボーグ技術の番組をまたやってた. 脳-コンピュータ間インターフェースに関する議論の中で川人光男さんが言っていたことが非常に興味深い.曰く,コミュニケーション手段と人類の発展には以下のような対応がみられる.

コミュニケーション 人類の発展
言葉の発達 農耕文明の誕生
活版印刷 産業革命
インターネット オープンソースなど
脳-コンピュータ間インターフェース ?

コミュニケーション手段によって人間はより知識を共有しやすくなった. それにより文化や科学の発展が急速に起こっている.
人間は同じ概念を共有するために,発話者がいったん言葉にエンコードし,それをデコードすることで受け手が自分で概念を再構築する. つまり同じプラモを共有するために設計図だけFAXで送ってあとは自分で作ってもらうようなものだ.
しかも言葉の表現力は限られている. 脳-コンピュータ間インターフェースが実現すれば,言語以前のイメージの段階で直接通信することが可能になるかもしれない. つまりプラモの完成品を直接送れる. まず教育のあり方が一変するのは確実である. その知識をダウンロードすればいいんだから。
いずれコンピュータは人間の自己の認識の一部となるのではないかな. たとえば,盲目の人は白杖を自分の腕のように感じることがあるという. 安部公房の第四間氷期の中で,主人公の博士が彼自身の開発したコンピュータにこう語りかけるところがある.

いま私は機械の一部品に過ぎないのだ. 送られてくる情報のぜんぶが直接機械に接続され,自動的に分類記憶されるようになっていたから,私の役割といえば,ただ機械の合図に応じ,言われるままに簡単な手伝いをしてやればいいだけである. しかし私はそれが誇らしい. 機械にこの能力を与えてやったのは,ほかでもないこの私自身なのだ. 私は満足して機械にこう呼びかけるのだ. ---おまえは,拡大された,私の部分なんだよ……

ここで新たな問題が浮上する. 即ち,「どこからどこまでが自分といえるか?」ということ.
(つづk あない)