攻殻機動隊SAC2nd「機械たちの午後」について

劇中のタチコマ達の議論で,ちょっと考えるところがあったので紹介してみる. 以下に該当部分全文引用

(電脳空間内の会議室へ移動)
「ここなら誰にも邪魔されずに話せるねー」
「うん,時間の流れも関係無いし.」
「話を戻したいんだけどさ,ウイルスで発症したと思われる個別の11人はともかく,個別主義者ってどう思う?個を強調するわりには没個性的な人達だと思わないか?」
「確かにそうだね,ネット上での孤立や自我の存在証明を追求して,各自の差異に価値を求めてるくせに,違う思想の人間を排斥しようとする行為においては一様に団結しているわけでしょ?」
「そうなんだ,主体性があるようで無い集団,個を求めんとするあまり没個性に陥っている人達だと思うんだ.」
「それって,ある意味僕達とは対極にある人達って気がする.」
「そうだねー, 僕らは並列化を義務付けられながら,何故か一度は「個」を手に入れたわけだから.」
「そして今ではその差異を個性として尊重してもらった上で,必要な情報のみを並列化すればいい.」
「じゃあさ,個別主義者が,本当に個別であろうとするが故に差異の無い集団になっているんだとすれば?彼らの集合体としての意思を決定しているのは,誰なの?」
「個別の11人に関しては,その意思決定をしたのは内庁のゴウダってことかな.」
「でも,中国大使館を襲撃したテロリスト達は,ウイルスとは関係無く台頭してきたインディヴィジュアリストって言われてるんでしょ?」
笑い男事件のときに大挙して現われた模倣者こそがその起源,と言っている社会学者もいるけどね.」
「だとすると,個別主義者達の意識の中にはゴウダの介在する以前から現在の状況に近いイメージが共有されていたってことになるのかー」
「国民の総意としての難民排除ってことね.」
「それを言うなら,難民だって個別主義者の台頭してくる以前から,テロ行為は繰り返してたわけでしょ?」
不思議だよねー,誰かがコマンドを出してる訳じゃないのに,みんな自然と同じ方向を向き始めている.
「あるいは,個人と集団以外の第三の意思決定の主体が人間にはあるのかもしれない.」
「どゆこと?」
「例えば,遺伝子というミクロな視点で主体の深宮を見出そうとしたドーキンスと,極めてマクロな地球規模の主体に思いを馳せたラブロック(地球生命圏),両者はほぼ同時期に相反する主体を題材に,ほぼ同じ結論に達していると言ってもよいような著書を残しているんだ.」
「どんなことが書かれてるの?」
「人間は最も合理的な主体や意思を宿す最小単位で,自身より大きかったり小さかったりする,ある種のホロン型構造の存在について,思考し言及する,みたいな.」
「つまり,個別主義者や難民もその行動を決定する因子は,自身よりミクロな,あるいは集団を越えたマクロなレベルに存在するということを言い当てているところがあるってことさ.」
「む,難しいなー」
「簡単さ,人間がその存在を決定付ける以前には存在していなかったネットの有り様が,彼らの神経レベルでのネットと,今や地球を覆い尽くさんとしている電子ネットワークの双方によって,自身の意思とは乖離した無意識を全体の総意として緩やかに形成しているってことだよ.だろー?」
「つまり人間は,自分の肉体と精神とが既に一致していないけど,そのことについては気付いていないってこと?」
「有り体に私見を述べればね.」
「ひー,肉体と精神は不可分だっていう結論に傾きかけてたのに,なんという真理な拝見.?」
「とするなら,ゴウダってその緩やかな流れを加速するための媒介を意図的につくりだしたってことになるのか.」

以前言及した粘菌の自己組織化の例(id:masatoi:20051111)では,粘菌は一定のルールに従っているだけにも関わらず全体として迷路を解くという複雑な問題を解決することが出来た.
上のタチコマ達の議論で言っていることは,粘菌の例でいくと「粘菌の一個体から見たら,群体としての行動の目的や意味は認識できない」ということだ. 粘菌は単細胞生物なのでそういった認識は実際には当然できないのだが,これが粘菌ではなく人間であったとしても同じような状況が生まれるのではないか. タチコマ達の言う「第三の意思決定の主体」というのは「全体として意志を持っているように見えるがその成員はそのことに無自覚であるような状況の主体」であると解釈できる. 各個体が意識していなくても全体としてその方向へ向かうような「流れ」が存在するということ. 電子ネットワークが普及することでその構造の影響が顕在化してきたということを言っている. これは程度の差こそあれ現実の世界にも当てはまることだと思う.
ところで,組織化にはトップダウン方式とボトムアップ方式がある. たとえば国家,会社,学校などはトップダウンに組織されている. 対してボトムアップに形成されるものは大衆文化や,それこそ電子ネットワークなんかだ. トップダウンで形成された組織は目的と命令系統が明確なのに対して,ボトムアップで形成された組織は目的も命令系統も明確ではない. その場合,コミュニティに参加している人達が自発的にとる行動というのが組織全体の原動力になってくる.
現実世界の具体的な例として2ちゃんねるを持ってこよう. これは明らかにボトムアップ式に形成されるコミュニティだ. 参加する人たちは,かなり単純な欲求を持ってこれに書きこみをする. 例えば褒められたいとか慰め合いたいとか妬みたいとか妬まれたいとか誰かをこきおろしたいとか… そういう社会的欲求を満たすのが参加者個人の目的. しかしこのコミュニティに多くの参加者が集まってくるとその中の似たような欲求を持つグループが集まって,その欲求を満たすために直接的な行動を取り始める. 例えばある日突如として一斉に全国のコンビニでうまい棒が買い占められたりする.
ここで重要なのは,トップダウン式組織の場合はどんな行動を取っていくのかある程度予想がつくが,ボトムアップ式組織の場合は実際にコミュニティが行動を起こすまで何をするのかよく分からないということだ*1.
そしてそんな何が出てくるか分からないというダイナミクスボトムアップ式組織の最大の強みでもある. ときとして優れたものが生まれるのはそういったカオスの中からであることが多いのは経験的に知れていることだ. 盛期ルネッサンス期のあのたった30年間かそこらに,あれほどの才能が一カ所に集中したのはおそらく偶然ではない.
人工知能でマルチエージェントをシミュレートしようとする動機はここにあると思われる. マルチエージェント環境では通常,エージェント同士に情報の完全な共有は認めない. 各エージェントに個性を与えなければエージェント系全体としてのダイナミクスが失なわれるからだ.
人工的にそのダイナミクスを作り,そこから何かを意味のあるものが得られたら,すごく面白そう*2.

*1:攻殻機動隊のTV版では高度に電子ネットワーク化が進んだ社会で起こるかもしれないボトムアップな構造を持つ現象をしきりに持ち出してくる. 例えば笑い男事件の模倣者の登場なんかはその例といえる.

*2:またそれの逆問題として,そのマルチエージェント組織に意図的に全体としてある行動をとらせたいようなとき,どういった欲求をエージェントに持たせたらいいのか(というか持たせられるのか),とかも考えなければならない.